盾。
ミリアは湖水に顔を近づけていく。自分の顔が揺らぎながら、整った顔が浮かぶ。
草を踏みしめる音が響き、まどろみの中で重たい瞼を開ける。
男の身なりをした女が、精悍な騎士の恰好をしていた。
ミリアは、美しい顔をした騎士に息を飲み込んだ。
「何をしていた?」
騎士の問かけに、ミリアは微かに唇を開く。
「水の底に、新しい王宮が見えはしないかと顔を近づけていました」
「王宮?」
空想的な発想に、騎士は少し考えるようすをさした。
「はい。その昔。若い男が、新たな世界を見ようと身を投げ入れた湖だと聞いて、男はたいそう秀麗で、多くの民が嘆いたという噂を聴いて、きっと男は、本当に水のラビリンスを見たのだと思えたのです」
「…………」
内傷的な感覚が、騎士の足場を崩していく。
「それで、何か見えたのか?」
言葉を選びながら、やっとそれだけを伝える。
「いいえ。何も見えませんでした」
ミリアは長い睫を閉じた。
「水鏡に映り込んだ、この世界の空と、わたし自身しか何も見えなかった」
「そうか」
騎士は、手を差し出した。
ミリアは、その手を取り、立ち上がる。
「この湖には、魔女の魔法を施してある。ある特定の感性を持ったものの心を映し出すというものだ。その男は、自分の心の深淵を見たのだ。そして、自分の心に囚われ溺れた……」
騎士は、ミリアの赤みがかった瞳を見つめる。
「お前は、お前自身の強さが魔法を跳ね返したのだ。その瞳は燃え立つように熱を帯びている」
「はい」
ミリアは、顔を伏せる。
ミリアは、ふらついて騎士にしなだれかかる。
騎士は、手に力を込めて支える。
「怖かった。わたしも水に引きずられてしまうかと思いました」
騎士は、ミリアの言葉に口角を上げて笑う。
「無謀なかけはしないほうが得策だ」
握られている手は、固く結ばれている。
「騎士さま。あなたさまのお名前は何とおっしゃるのですか?」
ミリアは、湖水の水の反射を受けながら、眩しそうに、騎士の顔を見つめている。
「わたしの名は、ラピス。この地方で取れる魔法の鉱石から名づけられた」
「ラピスさまですね」
ミリアは、顔を上げる。柔らかな風になびく長い髪。小さな唇。
「君の名は?」
「ミリア」
瞳が濡れ、切なそうに揺れている。
「ミリア。素敵な名だ」
ミリアは、頬を赤く染めた。
「ラピスさま。騎士さまは、なぜここにいらっしゃったのですか?」
ラピスは、青空のように澄んだ瞳をしている。
「わたしにも魔法が施されている。勇者が、この地に足を踏み入れたときに、わたしの中にあるエレメントを受け渡すために……」
「勇者に……? エレメント?」
「そうだ」
ミリアは口を手に持っていき、奥歯を噛んだ。
「わたしは」
呼応するかのように、ミリアの持っている剣と騎士の持っている楯が輝き出す。
「お前は……」
ミリアは、顔を横に背ける。
出会いの側から別れが背中合わせで訪れる。昼は夜になれない。また、夜も昼になることはできない。
ミリアは、湖水を見つめている。
ラピスは、ミリアを背中から抱きしめた。
「嘆くことはない。お前のために生まれたのは宿命だ。それが、わたしの使命なら、それを受け入れるのもまた定めだ」
「わたしの命が、湖の水ならば良かったのに」
「そんなことはない。わたしの命。そなたに預けよう……」
ラピスは、ミリアの顔に、自分の顔を近づけると、その柔らかな唇を奪う。
ミリアは、ただ受入れ、抱きしめられている腕に、そっと手を添える。
ミリアの瞳から、一筋の涙が零れた。
ラピスは、そっとミリアの涙を拭い、目を伏せ、再び開け、ミリアの細い首筋に唇をつけた。
ミリアの服を、一枚ずつ脱がせていく。
時は、砂時計のように、少しずつ堕ちていく。
ラピスは、ミリアの身体に、顔を埋め、シルエットに沿わせながら唇を這わしていく。
「…………ッ……ア……」
ミリアは、喉を震わせ、脱がされた服を握る手に力が入る。
「楽にして、わたしに身を任せて」
風に紛れる声は、遠い歌のようにも聞こえる。
ミリアは、指先が求めるように、ラピスの髪に指先が触れる。
「わたしは……」
ミリアに、先に言葉を云わせないように、ラピスは手を握ると口づけを一つした。
「わたしは、君の影。君の目覚めを待つためにだけ生まれた。今は、ただ、君と一つに溶け合いたい」
ミリアが、痺れたように、大きく波打ち感じると、ラピスの身体は神々しく輝きだした。
そして、ラピスは消え、ミリアの細い身体の上に、金でできた楯だけが残った。