コルエットは、しばしの沈黙の中で、人魚をくまなく見まわした。
赤く薄い尾ひれは、下にいくほど、淡くなり透過し、後ろにある木製を浮かび上がらせる。所々に傷があり、屈強な男達に引きずられ運ばれた痕が、痛々しく赤身を帯びた肉の内壁を見せる。
人の部分は、白い陶器のような皮膚が浮かんでいる。顔は垂れているので見えない。
コルエットは、一歩ずつ近づくと、人魚の指先がピクッと動いた。
人魚は、顔を上げる。鋭利な目をしていた。それでいて、息を呑むほどに、精巧な顔をしていた。
今にも壊れてしまいそうで、見ているものの心が引き裂かれそうで、コルエットは顔を背ける。
人魚は、尾ひれを鋼のように伸ばし、鉛のように振りかざし、コルエットに襲いかかろうとする。
コルエットは、召喚魔法で水を変化させ、結界のように自分の周辺を守る。
しかし、尾ひれが顔を掠め、紙で切ったかのように、頬に小さな傷ができた。小さいといえど、血が糸のように流れる。
「……ごめんなさいね。本当は、あなたの生まれた世界へ帰りたいでしょうね」
コルエットは、自分の無力な手に、握りこぶしをつくり、やり場のない怒りに震える。手に爪が食い込み、血が滲む。
そんな、コルエットの姿に、戦意喪失したのは、人魚のほうだ。力を込めていた指先や尾ひれを下げた。
「優しいこ」
コルエットは、人魚に駆け寄り、縛られている縄を解いていく。
人魚は、どさりと音をさせ、コルエットの腕の中に納まる。
人魚は、コルエットの肩に手を置くと、
「なぜ?」
と、美しく高い小鳩のような声で呟いた。
なぜ、助けたの、と云いたげな瞳に、コルエットは微かに微笑んだ。
「なぜかしらね。あなたを見ていたら自分に見えてきたのかもしれないわね」
コルエットは、自分の孤独感を埋めようとしていた。
「……ッツ」
人魚は、奥歯を噛んだ。
「傷口が痛むのね。しばらくは、城の中の水浴室で休むといいわ」
水浴室といえど、城は広く、湖水ぐらいの大きさで、風呂兼、水浴場だ。
2章 水と歌の狭間で
人魚は日増しに回復を見せ、浴室を旋回して泳ぐようになっていた。
コルエットが浴室に入ると、人魚の歌声が聴こえた。
ソプラノの音域で、空気と水の波紋に混じり、歌声が溶け合う。
ガラスで出来た大きな開口部から、太陽の光が差し込み、水の粒子が光を受けて、所々で小さな虹ができていた。
「あなた」
コルエットが口を開くと、人魚はコルエットに顔を向け、至上の笑顔をして微笑む。
歌声が、浸透していく。
コルエットが水に、足を浸ける。そして、身体を水にまかせる。
人魚は、尾ひれを軽やかに動かせると、コルエットに近づいた。
「コルエットさま……」
人魚は、コルエットの首もとに手を回すと、切なげな顔をした。
コルエットと人魚の瞳が潤み、互いに見つめ合う。
人魚が唇を絡めた。
「……ンッ…フウ」
コルエットの吐息が漏れる。
水の波紋が波打つ。水の匂いと互いの呼吸が混ざり合い、混濁していく。ピチャピチャとした音が微かに耳の奥で響く。
コルエットは眩暈のように、こめかみを押さえる。
「コルエットさま……」
コルエットの顔を覗き込んで、伺うように顔を見る。
コルエットは、人魚の金色に光る髪に指先を這わした。
指の間を縫うように髪が絡んでいく。水を含んで纏わりつく。
人魚は、目を下に落とした。
「あなたは、人間にはなれないものね」
コルエットの冷たく言い放った言葉に、人魚は顔をコルエットの上半身に埋めた。
人魚の瞳は、泣きそうに揺れている。
コルエットは、人魚の頭を撫でた。
「気にすることはない。美しいと思えるから……」
コルエットの呼吸で波打つ心音を聴きながら、人魚は目を伏せる。
「わたしは、コルエットさまの心が欲しいのです」
人魚は、コルエットの指先を自分の指に絡め握る。まるで、おとぎ話のように消えてしまうのを恐れているかのようだ。
「心? 心はすでに奪われていてよ」
コルエットは人魚を見つめると、今度は自分から唇を重ねる。柔らかな感触に、人魚の唇が微かに震えている。
「その清らかでなだらかな身体も」
人魚の両腕をなぞるように撫でる。
人魚は、いやいやをするように首を振る。
「違うのです。わたしは、コルエットさまと溶けあいたい」
そう云うと、人魚は、コルエットの首筋にその華奢な唇をつけた。
コルエットは身体に傾斜がかかり、このまま水に溶けて溺れそうな浮遊感に満たされる。しかし、背中に固いタイルの感触が残るので、何とか自分の身を保つことができた。
人魚は、コルエットが逃げ場を失っているので、その身体に舌を這わせていく。
尖っている胸先は期待で、その唇を待っている。
人魚は、その優しい顔と裏腹に、その先を僅かに歯噛みする。
コルエットは、苦しそうにのけぞる。どこか、かわそうとして、逃げ場を探そうとするが、人形の尾が、巻き付いていて身動きが取れない。
人魚は、微かに微笑むと左手で弦のように、反り返っている乳首をくにくにと奏でる。
「はあっ……ンッ…ンン」
耐えようとするので、反動で人魚を持つ手に力が入る。
「ダメ……お願い……」
人魚は、コルエットの唇に自分の唇を重ね、先を云わせないようにさせ、両手で更に強くいじると、痙攣したようにコルエットは達した。さらに、手ごねしている。
人魚は唇を離した。
「胸だけでいっちゃいましたか?」
人魚は、一つ微笑むと、物足りないというように、水の中へ顔をつけ、水と愛液で滲んだところをすっと線を引くように指でなぞった。
コルエットは、力が抜けて沈みそうだったので、人魚は水から顔を出して、相手の身体を持つ。
快楽の糸を絶たれてコルエットはぐったりとなった。
人魚の瞳が妖しく光ると、自分のぬめった魚の部分を、コルエットのなぞりつけた部分に押し当てる。
コルエットは声にならない奇声を上げた。
人魚の尾ひれは、人魚の意志であるかのように、微妙なタッチで擦り上げる。うねうねとした襞(ひだ)があわびのような内壁へ潜り込むように、互いの皮膚や肉が連動した。
「ああ……ああっ、……あんっ……ん、…ううん……」
人魚が魚の部分を動かすたびに、甘い嬌声のような喘ぎが、吐き出す息とともに零れる。
人魚は、痺れたように、相手の興奮している声が鼓膜を支配し、繰り返される声とともに、達してしまう。
「コルエットさま……」
人魚は、コルエットの身体にもう一度自分の顔を埋めると、
「大好きです。いつまでも一緒に居たい」
と、呟く。