人魚。
 その昔。人魚の肉は不老長寿の没薬として珍重される。
 毒にも、薬ににもなると噂の人魚だが、生け捕りにされ、乱獲されてその数を減らした。
 屈強な兵士たちに囲まれて、一匹の人魚が捕獲された。
 十字架に、その腕や胴体を縛られ、首を垂れ、ぐったりと力なく、その灯に終止符を打とうとしている。
 男たちは、手に鉄でできた太い矢じりを持ち、人魚の肉を八つ裂きにしようと、濁った笑みを寄せた。
「お待ちなさい」
 コルエットだった。
 兵士を治める長が、コルエットの姿を目視すると、一歩下がる。天下の兵士といえど、水の魔女に逆らうほど馬鹿でもない。
 コルエットに逆らった女官が、地下牢に閉じ込められ水責めの刑が執行されたのは、もっぱらの評判で、すべての采配がコルエット自身の中で握られている。
「あなたたち、もうお下がりなさい……」
「しかし、コルエット様。野生の人魚は獰猛と名高い。捕獲したのも屈強な兵士が8人がかりで行い、幾人かが怪我をしております」
 コルエットは、兵長を睨んだ。
 殺気だった瞳に、兵長は冷水を浴びた。
「わたしの命令よ。もし聞けないのだったら、覚悟はできているのでしょうね」
 何の抑揚も感じさせない平板な声が、より一層恐怖を駆り立てる。
 兵長は、他の兵士たちを見ると、マントを翻して、その部屋を後にする。他の兵士も動揺しながらついていく。
 コルエットと人魚だけが、その場に残る。

 コルエットは、しばしの沈黙の中で、人魚をくまなく見まわした。
 赤く薄い尾ひれは、下にいくほど、淡くなり透過し、後ろにある木製を浮かび上がらせる。所々に傷があり、屈強な男達に引きずられ運ばれた痕が、痛々しく赤身を帯びた肉の内壁を見せる。
 人の部分は、白い陶器のような皮膚が浮かんでいる。顔は垂れているので見えない。
 コルエットは、一歩ずつ近づくと、人魚の指先がピクッと動いた。
 人魚は、顔を上げる。鋭利な目をしていた。それでいて、息を呑むほどに、精巧な顔をしていた。
 今にも壊れてしまいそうで、見ているものの心が引き裂かれそうで、コルエットは顔を背ける。
 人魚は、尾ひれを鋼のように伸ばし、鉛のように振りかざし、コルエットに襲いかかろうとする。
 コルエットは、召喚魔法で水を変化させ、結界のように自分の周辺を守る。
 しかし、尾ひれが顔を掠め、紙で切ったかのように、頬に小さな傷ができた。小さいといえど、血が糸のように流れる。
「……ごめんなさいね。本当は、あなたの生まれた世界へ帰りたいでしょうね」
 コルエットは、自分の無力な手に、握りこぶしをつくり、やり場のない怒りに震える。手に爪が食い込み、血が滲む。
 そんな、コルエットの姿に、戦意喪失したのは、人魚のほうだ。力を込めていた指先や尾ひれを下げた。
「優しいこ」
 コルエットは、人魚に駆け寄り、縛られている縄を解いていく。
 人魚は、どさりと音をさせ、コルエットの腕の中に納まる。
 人魚は、コルエットの肩に手を置くと、
「なぜ?」
 と、美しく高い小鳩のような声で呟いた。
 なぜ、助けたの、と云いたげな瞳に、コルエットは微かに微笑んだ。
「なぜかしらね。あなたを見ていたら自分に見えてきたのかもしれないわね」
 コルエットは、自分の孤独感を埋めようとしていた。

「……ッツ」
 人魚は、奥歯を噛んだ。
「傷口が痛むのね。しばらくは、城の中の水浴室で休むといいわ」
 水浴室といえど、城は広く、湖水ぐらいの大きさで、風呂兼、水浴場だ。



2章 水と歌の狭間で


 人魚は日増しに回復を見せ、浴室を旋回して泳ぐようになっていた。
 コルエットが浴室に入ると、人魚の歌声が聴こえた。
 ソプラノの音域で、空気と水の波紋に混じり、歌声が溶け合う。
 ガラスで出来た大きな開口部から、太陽の光が差し込み、水の粒子が光を受けて、所々で小さな虹ができていた。
「あなた」
 コルエットが口を開くと、人魚はコルエットに顔を向け、至上の笑顔をして微笑む。
 歌声が、浸透していく。
 コルエットが水に、足を浸ける。そして、身体を水にまかせる。
 人魚は、尾ひれを軽やかに動かせると、コルエットに近づいた。
「コルエットさま……」
 人魚は、コルエットの首もとに手を回すと、切なげな顔をした。
 コルエットと人魚の瞳が潤み、互いに見つめ合う。
 人魚が唇を絡めた。
「……ンッ…フウ」
 コルエットの吐息が漏れる。

 水の波紋が波打つ。水の匂いと互いの呼吸が混ざり合い、混濁していく。ピチャピチャとした音が微かに耳の奥で響く。
 コルエットは眩暈のように、こめかみを押さえる。
「コルエットさま……」
 コルエットの顔を覗き込んで、伺うように顔を見る。
 コルエットは、人魚の金色に光る髪に指先を這わした。
 指の間を縫うように髪が絡んでいく。水を含んで纏わりつく。
 人魚は、目を下に落とした。
「あなたは、人間にはなれないものね」
 コルエットの冷たく言い放った言葉に、人魚は顔をコルエットの上半身に埋めた。
 人魚の瞳は、泣きそうに揺れている。
 コルエットは、人魚の頭を撫でた。
「気にすることはない。美しいと思えるから……」
 コルエットの呼吸で波打つ心音を聴きながら、人魚は目を伏せる。
「わたしは、コルエットさまの心が欲しいのです」
 人魚は、コルエットの指先を自分の指に絡め握る。まるで、おとぎ話のように消えてしまうのを恐れているかのようだ。
「心? 心はすでに奪われていてよ」
 コルエットは人魚を見つめると、今度は自分から唇を重ねる。柔らかな感触に、人魚の唇が微かに震えている。
「その清らかでなだらかな身体も」
 人魚の両腕をなぞるように撫でる。
 人魚は、いやいやをするように首を振る。
「違うのです。わたしは、コルエットさまと溶けあいたい」
 そう云うと、人魚は、コルエットの首筋にその華奢な唇をつけた。
 コルエットは身体に傾斜がかかり、このまま水に溶けて溺れそうな浮遊感に満たされる。しかし、背中に固いタイルの感触が残るので、何とか自分の身を保つことができた。
 人魚は、コルエットが逃げ場を失っているので、その身体に舌を這わせていく。
 尖っている胸先は期待で、その唇を待っている。
 人魚は、その優しい顔と裏腹に、その先を僅かに歯噛みする。
 コルエットは、苦しそうにのけぞる。どこか、かわそうとして、逃げ場を探そうとするが、人形の尾が、巻き付いていて身動きが取れない。
 人魚は、微かに微笑むと左手で弦のように、反り返っている乳首をくにくにと奏でる。
「はあっ……ンッ…ンン」
 耐えようとするので、反動で人魚を持つ手に力が入る。
「ダメ……お願い……」
 人魚は、コルエットの唇に自分の唇を重ね、先を云わせないようにさせ、両手で更に強くいじると、痙攣したようにコルエットは達した。さらに、手ごねしている。
 人魚は唇を離した。
「胸だけでいっちゃいましたか?」
 人魚は、一つ微笑むと、物足りないというように、水の中へ顔をつけ、水と愛液で滲んだところをすっと線を引くように指でなぞった。
 コルエットは、力が抜けて沈みそうだったので、人魚は水から顔を出して、相手の身体を持つ。
 快楽の糸を絶たれてコルエットはぐったりとなった。
 人魚の瞳が妖しく光ると、自分のぬめった魚の部分を、コルエットのなぞりつけた部分に押し当てる。
 コルエットは声にならない奇声を上げた。
 人魚の尾ひれは、人魚の意志であるかのように、微妙なタッチで擦り上げる。うねうねとした襞(ひだ)があわびのような内壁へ潜り込むように、互いの皮膚や肉が連動した。
「ああ……ああっ、……あんっ……ん、…ううん……」
 人魚が魚の部分を動かすたびに、甘い嬌声のような喘ぎが、吐き出す息とともに零れる。 
 人魚は、痺れたように、相手の興奮している声が鼓膜を支配し、繰り返される声とともに、達してしまう。
「コルエットさま……」
 人魚は、コルエットの身体にもう一度自分の顔を埋めると、
「大好きです。いつまでも一緒に居たい」
 と、呟く。

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